中央競馬からのひらめき
勝ち馬の騎手は控室に引き下がる前に、まず役員用スタンドに行って、そこからぶら下がっている絹の手提げをつかみ取る決まりだった。
手提げの中は香水がたっぷり振りまかれており、それを最愛の人か、むしろたいていはしばしの間愛し合いたい相手めがけてスタンドに投げ込むのが勝った騎手の義務であり特権だった。
このしきたりを守るのはむろん白人の騎手だけだが、それでも必ず観衆の気分を盛り上げ、競馬場にロマンティックな雰囲気を醸し出した。
もっとも、Jがそそられていた誘惑はただ一つ、シカゴかケンタッキーか、いっそ高額賞金のかかるニューヨークのサーキットにでも戻る時機がきたとき、持ち馬に乗せる有能な若い者を探している一流の馬主から誘いがかかることだった。
フェアーグラウンズには馬主もギャンブラーも超一流の面々だけが集まっていた。
かれらは山はどの新聞のコラムで語り草になっている人物にふさわしく悠然と場内をぶらついていた。
BーKがその中心的存在で、ほかに生まれはミズーリだが、ニューヨークでも西部にいるのと同じくらい自由自在に活動していたS・Hもそうだった。
ここのギャンブラーたちはロービのしらけ、ふてくされた貯氷庫の労働者連中とはちがうし、シカゴのKやその同業者たちのような暴力団関係者ともちかっていた。
過去の経歴と気迫とで競馬界の重鎮になりおおせた怖いもの知らずのギャンブラーたちだった。
名うての無法者で、あのJの弟、Hはスタンドで鷹揚に愛想を振りまき、競馬場での噂では全出走馬の癖や能力を知り尽くすことでかつて銀行や列車から略奪した金品を元手に一財産作ったとされていた。
Rは日々賭博グループを仕切り、「百万張り」のJGも同様だった。
ケンタッキー人でホテルのベルボーイ上がりのグラナンは西部一円の鉱山町を股にかけてもっぱら食うためにカードや馬やサイコロに賭けてきた男で、馬券売場では一目置かれていた。
Gは元は鉄条網のセールスマンで、その商品を土台に数百万ドル規模の鉄鋼商社を築き上げ、その後石油、鉄道、銀行、そして株式市場に投資した。
なんでもイギリスへ旅をして、競馬場でロイヤルフLという馬に大枚百万ドルをポンと張って、その倍以上の配当を手にしたことから、「百万張り」という仇名がついたという話だ。
Dが一番注目したのはPだった。
それも当然で、この男は至る所に顔を出した。
夜明け前には厩舎で厩務員や調教騎手たちに気安く話しかけ、朝の調教中は柵にもたれて眺め、そして午後はパドックにいて、宝石をじっくり値踏みする宝石商のように馬たちをじろじろ見ていた。
彼がPと呼ばれるようになったのは、シカゴの競馬賭博場でRという馬券屋が彼の本名JSはありふれ過ぎていて忘れやすく、勘定をきちんとしておくのに不都合だと断じたのが始まりだった。
Sはピッツバーグの出身で、フィルはRがつけた愛称だった。
根っからの競馬マニアで、馬を品定めすることと馬の勝算に賭けることに並々ならぬ修練を積んできた。
几帳面な男で、馬、騎手、調教師のことから、各走路の特質、個々のレースの気象条件に至るまでおびただしいメモを取っていた。
ややもすると格言めいた物言いをするきらいがあった。
「レースに賭けて当てるには自分なりの意見を持ち、人が何と言おうとそれを貫く人間でなくてはならない」とか。
Pは朝、自分の時計で馬のタイムを計り、馬たちがウォーミングアップのために走路に出てきたときから、午後のレースでゴールを駆け抜けた瞬間のしばらくあとまで、自分の双眼鏡で馬たちを見守った。
馬体重が前走以来増えたか減ったか一目でわかるように入念に馬を観察するのだと言っていた。
「おれの目はおれにとっての内部情報なんだ」と彼は問いかける者に誰彼となく語った。
彼は賭けるのをいつもぎりぎりの土壇場まで延ばしたが、この習慣は自分の選んだ馬が体調良好で、リラックスしていて、まさに最高の走りを見せる用意ができているという確信をさらに強固にするものだった。
もっとも、馬券屋たちはそれを嫌がった。
というのもPは勝ち馬予想の名人と目されており、当然ながら彼の選択を立ち聞きして自分もそれに賭けようとするギャンブラーたちが押すな押すなで後ろに並んだからだ。
彼のおかげで馬券屋の懐がたびたび脅かされた。
Pの格言はすべてたゆみない研究の産物だったが、とりわけJに関して結論を下す必要があったのは、「騎手良し馬良しなら有利な賭け、騎手が駄目で馬が良ければそこそこの賭け、馬が良く騎手がそこそこならそこそこの賭け」のいずれにJが当てはまるのかだった。
馬券屋に対してそうだったように、ピッツバーグーフイルは騎手についてもその者に賭ける頻度と金額次第で生かすも殺すも思いのままだった。
Jはフェアーグラウンズでは新顔だったから、彼はJにぴたりと的を絞って、朝の調教時の習慣と午後のレースでの判断のよしあしに特に注意を払った。
JはピッツバーグーフイルやM親子、それにM親子から彼を賃借りした馬主たちの期待に背くことはなかった。
賭け手たちが断トツとみなすような馬に乗れることはめったになく、オッズが中ぐらいかむしろ高めの馬に騎乗したが、それでもなんとか五倍から一三倍ぐらいの十分な配当の範囲内に人着させた。
彼は覚えが早く、一七歳とは思えないような知恵を発揮した。
ただでさえ低湿地のニューオーリンズには冬場よく雨が降り、馬場はたいていぬかるんでいた。
足首が埋まるほどのぬかるみで、馬の顔に泥水がはねかかるような状態では馬を快調に走らせるのが難しいことはわかっていた。
騎手もずぶ濡れ泥だらけで、つるつる滑る馬の背にかじりついているのは楽ではなかった。
フェアーグラウンズでは厩舎が馬場にすぐ接していたので、Dは走路の外寄りの柵際に硬く踏みならされた小道ができているのを見抜くのに長くはかからなかった。
そこは地面がほかより高く乾いていたので、騎手や厩務員たちが馬を連れて厩舎と馬場を行き来するのに使っている通り道だった。
すばやくスタートを切り、他に先んじてその通り道へ馬を寄せれば、ほかの騎手たちはあとについてくるはかないから、ぬかるみでのレースを制することになる。
通り道は馬一頭が通れるだけの幅しかなく、さりとて馬の膝まで埋まるほどの内寄りのぬかるみに飛び込んで、先頭の馬を追い抜くのは不可能だった。
そこをなんとかうまく走り抜けたとしても、馬はたいていその奮闘で消耗して結局は後続の馬群に追いつかれるのが関の山だった。
ジョッキーSに乗ったあの最初のレースでの出遅れはあったものの、Jはその後たちまちすぐれた騎手に成長した。
馬に言葉をかけて静止状態から一気に飛び出させることができたが、ペースを落とさせるだけの強さもあり、馬は再び自由にやらせてもらえるのを待って、余力を残して大きな歩幅でゆる駆けするという具合だった。
R・G、「百万張り」のG、そしてわけてもPは寡黙な黒人の若者に備わった才能を見抜き、Jが次々と巧妙な騎乗ぶりを見せて騎手のランキングを上っていくにつれて大儲けをした。
Jは一九〇〇年の冬、フェアーグラウンズで勝利数第三位の騎手になっていたちょうどその頃、アメリカの一流競馬騎手としての自分の先行きはあまり長くないかもしれないとおぼろげながら初めて感じ取った。
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